生命現象をひも解く上で、近年では「メカニカルストレス」が注目を浴びています。
今回は、生体内ではたらく「メカニカルストレス」の定義から細胞培養における有用性まで、培養装置メーカーのエンジニアが解説していきます。よく混同しやすい「メカノバイオロジー」とメカニカルストレスの違いについても説明しているので、ぜひ最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
目次
1.メカニカルストレスとは
1-1)メカニカルストレスの定義
メカニカルストレスとは、細胞や組織が体内で受ける様々な物理的刺激のことです。細胞生物学分野における用語の一つですが、一言で言えば「身体の中で作用する力」になります。
私たちの身体の中では、いたるところで常に「力」がはたらいています。運動をすれば筋肉や骨には負荷がかかり、静止しているときでも心臓には拍動による力が作用しています。血管の中では血流が流れることで圧力がかかっていますし、皮膚には空気や触れたものとの摩擦力がはたらきます。
このように生体内の細胞はありとあらゆる力を受けており、生体内を研究する上でこの「力」はとても重要な因子であると考えられています。
1-2)メカノバイオロジーとの違い
メカニカルストレスと関係性の深い言葉に「メカノバイオロジー」があります。メカニカルストレスが生体内にはたらく「力」を指すのに対し、メカノバイオロジーは生体内にはたらく力が細胞や組織に与える影響を研究する「学問」を指します。
近年にかけて、身体の中を力学で解明しようとする研究視点が活発に生まれはじめ、メカノバイオロジー分野の研究は加速度的に増えています。将来的には医療や創薬への応用が期待されており、現在では、日本メカノバイオロジー学会という学会が発足されていることからも、大変ホットな研究分野であることが分かります。
2.メカニカルストレスの研究
2-1)メカニカルストレスの研究目的
まず、メカニカルストレスの研究で期待されていることとして、以下の3つを紹介します。
細胞応答の解明
組織の発達と機能の解明
疾患の解明と治療法および創薬の開発
・細胞応答の解明
細胞は外部からのメカニカルストレスに感知し、形態変化や増殖、分化など様々な応答を示します。この感知から応答へのプロセスは「メカノトランスダクション」と呼ばれます。例えば、血管内皮細胞は血流によるせん断応力を感知することで、血管の機能を調節していたり、運動により筋肉が付くのも、筋肉の細胞がメカニカルストレスを受ける影響と考えられています。
・組織の発達と機能の解明
メカニカルストレスは組織の発達や機能にも関係しているとされています。発達で見れば、胎児の成長過程において外部からの圧力や引っ張りが組織形成に影響を与えていたり、機能に関しては、心臓の拡張や収縮、肺の通気などがメカニカルストレスによって制御されていたりします。
また、組織の修復や再生にもメカニカルストレスは重要です。骨折した後にリハビリを行う理由のひとつは、骨折した骨が正しく癒合するには適切な力学的刺激が必要となるからと考えられています。
・疾患の解明と治療法および創薬の開発
疾患の発症や進行にもメカニカルストレスが関与していることがあり、心臓や肺疾患において、血管や各組織にかかる力学的負荷が影響を与えるケースがあります。疾患に対してメカニカルストレスがもたらす影響を解明できれば、治療法や創薬の開発に繋がるかもしれません。
このように、メカニカルストレスは医療の分野を中心に様々な研究成果が期待されており、総じて生体の健康と疾患の理解に不可欠な要素であると言えるでしょう。
2-2)メカニカルストレスの研究内容
続いて、メカニカルストレスに対してどのような研究が行われているか、論文などもご紹介します。
「変形性膝関節症におけるメカニカルストレス研究と間葉系幹細胞治療後の再生リハビリテーション」
出典:J-Stage
日本基礎理学療法学雑誌 第22巻1号(2019)に掲載のこの論文では、運動器疾患である変形性膝関節症の治療への見解を、メカニカルストレスを加えたエクササイズに対する研究データをもとに説明しています。適度なメカニカルストレスを負荷することで治癒が促進されることと同時に、再生リハビリテーションについての言及もされています。
「メカニカルストレスと転写制御」
出典:日本生化学会
こちらは公益社団法人日本生化学会が2009年に出版した「特集 遺伝子発現制御から迫る生体内環境応答機構」に掲載されている研究発表です。心筋細胞、骨格筋細胞へのメカニカルストレスの解説やメカノ創薬への考えも述べられています。
3.細胞培養におけるメカニカルストレスの有用性
3-1)メカニカルストレスを用いる利点
細胞培養でメカニカルストレスを与える大きなメリットとして、生体内の環境を模倣できる点があります。
冒頭で説明した通り、身体中の細胞にはあらゆる力がはたらいており、はたらく力によって細胞のふるまい方は様々に変化します。ですので、培養時に力学的要素のメカニカルストレスを加えることで生体内に近い実験環境をつくることができるというわけです。
3-2)メカニカルストレスと相性の良い細胞
異なる種類の細胞は、それぞれ異なるメカニカルストレスに異なる応答を示す傾向がありますが、より応答が顕著な「メカニカルストレスと相性の良い細胞」があります。
今回の記事では、その中でも代表的な3つの細胞を取り上げたいと思います。
血管内皮細胞
線維芽細胞
筋細胞
1.血管内皮細胞
血管内皮細胞は、血管壁の最も内側に存在し、血管の健康状態を維持している細胞です。私たちの身体は、日常生活における運動や健康状態の変化に合わせて、血液量や血圧を一定に保つようにつくられており、そのメカニズムにはメカニカルストレスが大きく関わっています。
血管内では、血流における圧やシアストレスなどのメカニカルストレスが発生しています。血管内皮細胞はこのメカニカルストレスを感知することで、血管の拡張や収縮に関するシグナルを放出し、血管内の環境を適切な状態へと調節しているとされています。
2.線維芽細胞
線維芽細胞は私たちの皮膚を構成しており、真皮の3大要素であるコラーゲン、エラスチン、ヒアルロン酸の生成を行うことから、アンチエイジングにおいても活躍している細胞です。
線維芽細胞は外部からの物理的な力やストレッチなどのメカニカルストレスを感知して、細胞内のシグナル伝達経路を活性化させることでコラーゲンなどの生成を調節しているとされています。また、線維芽細胞とメカニカルストレスの関係は、創傷治癒に関しても注目されており、物理療法のひとつでもある「局所陰圧閉鎖療法」などで研究が進められています。
3.筋細胞
筋細胞は筋肉組織を形成する細胞で、ストレッチや圧力に敏感に反応します。
私たちが運動する際、筋肉は収縮と弛緩を繰り返していますが、このとき筋細胞はメカニカルストレスに応じて適した収縮のシグナルを発信し、力の強さを調節しているとされています。
また、筋肉を成長させるためにも、メカニカルストレスは重要です。最近流行りの筋トレも、筋繊維がストレスによって傷つき修復される過程で、筋肉が大きく強くなると考えられています。
4.細胞に圧力を印加した時の応答
最後にメカニカルストレスの中でも「圧力」に焦点を当て、細胞への圧力印加に関する研究を紹介しながら、解説していきます。
細胞は、体内で圧力にさらされることが多いため、生体内を再現する上で、圧力印加しながらの培養はとても有効であるとされています。
「Hydrostatic pressure promotes endothelial tube formation through aquaporin 1 and Ras-ERK signaling」
2020年4月発行の「Communications Biology」にて掲載された論文です。ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を用いて、メカニカルストレスである静水圧が尿細管形成を促進するメカニズムについて解説しています。今後の展望として、in vitro研究やin vivo研究の必要性も述べています。
「Hydrostatic pressure suppresses fibrotic changes via Akt/GSK-3 signaling in human cardiac fibroblasts」
2018年5月に発行された「Physiological Reports」に掲載された論文です。ヒト心線維芽細胞(HCF)への静水圧(HP)評価を行っています。結果として、高HP(200㎜Hg)により、線維芽細胞の筋線維芽細胞表現型への分化に対する抑制が見られ、心疾患の病態解明に役立つ可能性について示唆しています。
「Arterial graft with elastic layer structure grown from cells」
2017年3月に発行された「Scientific Reports」に掲載された論文です。ヒト臍帯動脈平滑筋細胞(hUASMC)の応力線維形成とフィブロネクチン線維形成に対し、周期的静水圧加圧(PHP)を行うことでの影響を評価しています。また、血管SMCの血管状層状構造の作製におけるPHPの役割の可能性についても言及しています。
5.まとめ
今回は、メカニカルストレスの定義から研究内容について解説しました。
記事の内容をまとめると、以下の通りです。
メカニカルストレス=細胞や組織が体内で受ける様々な物理的な力(圧力、シアストレスなど)
メカノバイオロジー=メカニカルストレスを研究する「学問・分野」
メカニカルストレスは、生体内を力学的に解明するために研究が進んでおり、 応答が顕著な細胞として、血管内皮細胞や線維芽細胞、筋細胞などがあげられる。
メカニカルストレスは細胞培養において、生体内を模倣できる点で非常に有効であるとされている。
株式会社東海ヒットは、メカニカルストレスをかけながら細胞培養できるアプリケーションを開発しております。また、東海ヒットは研究者の方々のソリューション解決も得意としているので、ご興味ある方はぜひ候補としてお考え下さい。
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